尾崎家の出来事・お見送りしました

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5月15日、青空に白い雲 
母を見送りました。96歳 穏やかな旅立ちでした。

認知症でしたので、私のことも誰だかわからなくなっていたのですが、旅立つ5日前に奈良の施設に会いに行ったとき、妙にはっきりとした口調で

「ありがとう、さようなら」と言ったのです。わたしはこれが本当にお別れの言葉だと感じ、
「ありがとう、さようなら」と手を握り言いました。

食事を取ることがほどんどできなくなり、点滴も入れられないほど血管がもろくなっていました。医師と面談があり今後の治療について意思確認がありました。もう痛い思いはさせたくないのであとは自然に任せて見守っていく方針であることを告げ、お別れがそう遠くないことについて覚悟はできておりました。

仕事中、施設の方から母の容態が悪くなったと電話があり駆け付けた時は、もう息を引き取っていました。前日は車いすで外へ散歩に連れて行って頂いたり、その日の朝までスタッフの方とお話をしていたそうで、「少し休みますね」と眠りついたまま旅立ったそうです。天寿を全うしたという感じです。子供、孫、ひ孫にも恵まれ、最後は新しいきれいな施設に入り、皆さんにとても良くして頂き、幸せな人生だったと思います。

時には子供に戻ったようにわがままになり、スタッフの方々を困らせただろうに、最後まで「緒方さんは癒しでしたよ。」と涙ぐんでくれたスタッフの方、最期にきれいに化粧をしてくださったスタッフの方、施設を出る時みなさんで花道を作って見送って下さったのには感動しました。

老いること、そして最期を迎え人生をやり遂げることを私たちに身を持って示してくれたと思います。父が亡くなってから22年間、孫たちが成人し家庭を持つまで見届けたわけです。私の子供たちは「おばあちゃん生き抜いたって感じ。ここまで生きてくれて感謝の気持ち。やっとおじいちゃんに会えるね。」と言ってくれました。

連絡を受けてすぐに夫に電話をしたところ、迎えに来たオザタク(夫のタクシー)は、行灯やステッカーなどをすべて外してハイヤー仕様にしてくれていました。その心遣いには感謝しかありません。
私たちは家族としての歴史は浅いけれど、こうして一つ一つ経験を通して家族になっていくんだなと思います。
私は人生の幕を閉じる日まで自分の足で歩き、食事を作り、歌を歌っていたい、愛する人と共に。

ペーパーフラワーなどの制作が好きな姉と作った作品。90歳を超えても字を書いたり本を読んだりすることが好きでした

友人が送ってくれたブリザーブドフラワー ありがとう


娘が送ってくれた写真↓ 数年前は一緒に初詣もしてひ孫のななちゃんと手をつないでいたな~

これは一年前の私のストーリーズから・・・↓

ピアノは宮川真由美さん。この時は客席で聞いていた母
葬儀の時、母がよく口ずさんでいた「浜辺の歌」を流してもらいました。

奈良市「旅立ちの杜」から見た風景

コメント

  1. 島 泰子 より:

    お母様がご永眠とのこと、心よりお悔やみ申し上げます。

    皆様お力落としの事と思いますが悲しみを乗り越えられることを願っています。

    良き伴侶と巡り会えたこと本当に良かったですね。

    • Resonate Resonate より:

      ありがとうございます。最期まで何も苦しむことなく生き、生涯を穏やかに閉じることができ良かったと思っています。
      良き伴侶に巡り合えたこと、感謝に堪えません。